根っからの「物語フェチ」で、「おっさんが『もう生きてくの疲れたよ』って言ってる小説なんか読めるかよ!」と思っていたので、昔から本は読んでいたけれど、純文は苦手でした。
おもしろいと思っていたのは、島崎藤村(ふじむらとうそんって言いたくなる)の「破戒」と、
夏目漱石の「こころ」くらい。
でも最近純文の楽しみ方がなんとなあくわかってきたような気が・・・。
読んでいること自体が、甘美な喜びをもたらすような。
今は太宰治の「斜陽」を読んでいます。電車の中で結構夢中になってしまいました。
直治の「夕顔日誌」が…(>_<)
「僕が早熟を装って見せたら、人々は僕を、早熟だと噂した。
僕が、なまけものの振りをして見せたら、人々は僕を、なまけものだと噂した。
僕が小説を書けない振りをしたら、人々は僕を、書けないのだと噂した。
僕が嘘つきの振りをしたら、人々は僕を、嘘つきだと噂した。
僕が金持ちの振りをしたら、人々は僕を、金持ちだと噂した。
僕が冷淡を装って見せたら、人々は僕を、冷淡なやつだと噂した。
けれども、僕が本当に苦しくて、思わず呻いた時、人々は僕を、苦しい振りを装っていると噂した。
どうも、くいちがう」
うーん。
優秀な人だから孤独なのよね。
「彼氏彼女の事情」 の有馬くん、を思い出したらいけないのかもしれないけど、
「あなたに追いつきたかった。そうすればあなたは”ひとり”ではなくなるから」
という一節を思い出してみたりします。
優秀な人って、孤独にしたくないとどんなに周りが思っていても、一人で「そちら側」に行ってしまうようなところがあるのかも。
周りからすれば、「お前が勝手にそっちへ行ったんだから、すねて薬とか自殺とかしてんじゃねえよ。お前にその気がなければ、こっちがどんなに助けたくても助けられないのに」と思う。
「結局、自殺するよりほかしようないのじゃないか。
このように苦しんでも、ただ、自殺で終わるだけなのだ、と思ったら、声を放って泣いてしまった」
ああ。もう何も言えない。
さて、お風呂に入りながら続き読もう。