amazonで本を探している。
学校の課題で洋書を読まなくちゃいけないのだけれど、あたしはこれまでに原書はおろか翻訳小説すらほとんど読んだことがない。
前にも書いたけれど、翻訳された日本語が嫌いだから。だって寒い洒落を読まされているような気分になるんだもん。
だから何を読んだらいいのかさっぱりわからない。
しかも、課題の条件として「日本語訳が出版されてないもの」というのがあるのもなかなか厄介だ。
これだ、というのがなかなか見つからない。
でも、それでも、本を選ぶという作業はすばらしくおもしろい。わくわくする。
おもしろいといえば、課題で読まされた本(こっちは日本語)がすばらしくつまらなかった。
某吉田茂の長男が人が書いた小説だったのだけど、すごい悪文だった。
解説にも「人によっては悪文と感じるかもしれない」と書いてある。
何でも、お父さんの仕事の関係で、日本語より英語を先に習得したらしく、おっさんになっても「人妻」を「じんさい」って読んだくらい日本語が苦手だったらしい。
そんならおとなしく英語使ってればいいものを・・・(憎らしげに)
あまりに読みにくいので一日30P、みたいに区切って読まないと到底読みきれず、読んでいる最中はまるでサウナに入れられて、「はい、あと20分ねー」と言われているかのような気分だった。
高校のときに同じく課題で読まされた「暗夜行路」に張り合えるくらいの、「今にもこの本を放り出したい」感を味わった。
今が読むべき時期じゃないからそう思うのであって、もっと時間が経ってから読めば素晴らしいと思うのか、それともあたしに読む力が不足しているのか、もしくは相性が悪く一生経ってもいいと思えないのか、どれなんだろう。
でも、本当は今書いたうちのどれであっても、読んでいる途中に読みたくないと思ったら、読み手には放棄する権利があるように思うのだが、「読まされる本」は放棄することが難しい。
私に本を読ませている先生に悪気なんてあるはずないことは知っている。
だからこそ、本を「読まされる」ってなんて困ったことだろう、と思ってしまうのだ。