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誰も知らない

小学校の頃、担任の先生が、「僕は『子供』という漢字が嫌いです。なぜなら『供』というのは『したがう』という意味だからです」と言ったのをよく覚えていて、それを聞いて以来、自分も「こども」と書く時には、意図的に「供」という漢字を使わないようにしてきました。


そんなことをふと思い出しながら、この「誰も知らない」を観ていました。


少子化対策少子化対策と言っているけれども、ただ人間の数が増えればいいんだろうか。

この映画に出てくる子どもを置き去りにした母親のように、無責任な人間がいることは無視して、ただ子どもの数が増えることだけを奨励するのはどうかと思ってしまう。

「質より数」という考えは、やっぱり危険だ。

でもこの問題に関しては、単純に「数より質」だと言い切れない部分があるのは確かですね。質だけで補うことには限界があるから。

増やすことも必要だけれど、「教育」とかいう以前に、生まれてきた子どもがちゃんと人間らしく幸せになれることを考えなければいけないんだなあと思いました。

例えば少子化対策が成功して、子どもの数が増えたとしても、それが今の社会でちゃんとできるのかなあ。


映画のことはよくわからないのですが、足だけとか、床に落ちたクレヨンを拾う手だけとかを写すのは、低い視点、つまり子どもの視点、を表わしてるんですかね。

そこはすごく印象的でした。

淡々としているのに、私にしては珍しく、時計を見ないで熱中することができた映画でした。