金井 美恵子
愛の生活 森のメリュジーヌ

最近出会った作家、金井美恵子。

学校のゼミ形式の授業で、この人の「兎」という短編についての発表をすることになったのがきっかけです。

発表する作品は十数作の中から好きなものを選べたのだけれど、この「兎」という小説の書き出しにたいそうインパクトを覚えて、即決しました。


「書くということは、書かないということも含めて、書くということである以上、もう逃れようもなく、書くことは私の運命なのかもしれない」


「書かないということも含めて、書くということ」

私はこの一節を、書いていないときも、結局書くべきことを無意識に探し、それを吸収している、ということだと受けとりました。

なぜそんなことをしてしまうのか、というと、それが「運命」だからなのです。


この文を読んで痛烈に感じたのは、「諦観」でした。書くという運命への諦め。

こういうふうに書くと、まるで書くことは嫌なことだ、と言っているみたいに聞こえるかもしれないですが、実際まさしくそうなのだと思います。

作家というと書くのが大好きで、好きなことを仕事にした人だとおもわれがちなのかもしれません。でも本当はきっと、書くことが楽しくて楽しくてたまらない、という人ばかりじゃない。

というか、楽しくなくて普通なんじゃないかなあと。

だってものすごく精神力のいる作業だし、それを本気でやろうと思ったら、楽しいどころの騒ぎじゃないでしょう。でも別に嫌々やっているのではなくて(諦めた人は嫌がらないからね)、とにかく運命だから、書く。

壮絶。

ちなみに「兎」は書き出しだけではなくて、そのあとの内容もなかなか壮絶な短編です。

兎を絞める描写がリアル。

(これ以上は発表のネタばれなので書かないでおこう笑)


デビュー作「愛の生活」

金井美恵子は、19歳のとき、「愛の生活」という短編で太宰治賞の次席に選ばれてデビュー。

普通小説で、時間が過去に遡るときは、なんらかの合図が文中にあるものですが、合図もせずにいきなり過去の話になったりするのが、この「愛の生活」という小説です。

いや、自信がないとできないよねー…、そんなこと。

心に残ったシーン。

主人公が、レストランで相席になった人がスパゲティを食べているのを見て一言、


「回虫ってご存知?似てるわね。それ」


泉鏡花賞受賞作「プラトン的恋愛」

私は今のところこの小説が金井作品の中では一番好きです。

素敵なタイトル。

作品を発表するたびに「あなたの名前で発表された作品を書いたのは私です」という手紙を受け取る作家。しだいに自分が書いた作品は、本当に自分が書いたのかどうかがわからなくなる、という、書き手と読み手の不思議な関係を書いた小説です。


作家の視点で書かれているだけあって、この小説には、金井美恵子を、引いては、書く運命を持ったしまった者を知るヒントが沢山隠されている点が興味深い。


ごく短い小説のため、気になったところを引用すると小説を丸ごと写さなければいけなくなりそうなので、とりわけおもしろかった一節を下に。


「これは多分作家というものが誰しもそうであるように、わたしは自分の書いた小説(しかし、彼女はそうは言わない。彼女はわたしが書いた、と言うのだ)もしくは彼女の書いた小説よりも、読むことのできる無数の好きな小説を読むことのほうが好きなのだ。読むということにつきまとう、嫉妬も含めて」

しばらく自分の中で金井美恵子ブームが続きそうです。